夏はレース編み                   冬は羊毛フェルト                  季節労働者です。           


by faye2221
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るりちゃんのこと

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4月に叔母が亡くなりました。

幼い頃、叔母には本当に可愛がってもらいました。
夏休みには姉と二人で遠方(当時は横浜に住んでいた)の叔母の家にお泊りに行くのが嬉しくて。
新大阪から、子供だけでドキドキで新幹線に乗ったなー。
料理が得意で、家で一緒にパンを焼いたり、大人しか行かないようなお店に連れていってもらったり。
子供はいなくても、叔父と叔母とは本当に仲が良く、子供の頃から今も、二人は私の理想の夫婦です。

大人になってからは、私も全国を転々として、しょっちゅう行き来はしなくなってしまったけど、数年ぶりにいつ会っても、ずっと変わらず笑顔で迎えてくれました。
入院中も、ベッドの上から嬉しそうに「みなちゃ~ん!」と大きな声で喜んでくれました。
たぶん、叔母の中では、「一番末の姪っ子」として私は存在してたんだろうな。
病室で、何時間もいろんな話をしました。
ほとんど毎週末、三重まで車を走らせてくれた大ちゃんと3人で、残りの時間を大切に過ごしました。

数年前に夫を亡くし、一人暮らしだった叔母。
長兄である私の父も亡くなって、すぐ上の次兄は高齢で海外在住。

まさか姪の私たち夫婦が最後の瞬間を看取り、お葬式も取り仕切るとは思ってもみなかったけど、亡くなるまでの数か月の間、本当に色んな事を知る機会を与えてもらいました。
終末期医療のこと、地域の人とのつながりの大切さ、遠い人・近い人関わらず、人のキレイなところそうじゃないところ・・・
葬儀や相続のことも、1からやるのは初めての経験。
いつか良くなると信じて闘病していた叔母には、後のことなんてとてもじゃないけど聞けなくて、全て自分たちの判断でやらなければならず・・・
その時はつらかったし、もっともっとできたことがあったなーと思うけれど、それでも精一杯送れたと今は思う。(思うしかない)
今回のことで、自分の兄や姉とも、今までになく助け合えたことがとても良かったなと、叔母には感謝しています。

その後は、弁護士の先生のお世話になりながら、少しずつものごとを進めていますが、
三重にある叔母の自宅も手放すことになり、遺品の整理をしていたら大量に写真のポジが出てきました。
叔母がまだ東京写真大学(現・東京工芸大学)の学生だったころ、横浜から船で香港に渡り、そこからマレーシア・シンガポール・タイ・カンボジア・ベトナム・・・と、友達と二人で回ったときのものです。
50年も前、海外旅行もまだ珍しかった時代に、女の子二人で1か月以上の個人旅行・・・・
インターネットもなく、海外の情報も少なかっただろうし、よく行ったものだなあと思います。
明治生まれの祖母も祖父も、よく許したものです。末っ子で女の子一人の娘には甘かったのかな(笑)


写真学校の学生なだけあって、細かく見てみると、素晴らしい写真が何百枚も。
しかも当時はまだ珍しかったであろうカラー写真。
私たちの大好きな香港の写真には、今のように高層ビルが立ち並ぶ前の風景が写し取られていました。
まだ若く、好奇心でいっぱいだったるりちゃんの目には、どんな風に見えていたんだろう。
もう、夢中になって見てしまいました。
特にたくさん撮っていたのは、カンボジアのアンコールワット。
内戦で破壊される前のカラー写真で、首を落とされていない仏像の写真もたくさんありました。

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もしかしたら・・・と思い、名古屋のカンボジアの領事館に問い合わせてみたら、恐らく歴史的に貴重な資料になるはずなので、ぜひ見せてほしいとのお返事をいただき、カンボジアのものは全て領事館に寄贈することになりました。
一緒に旅行したみーこさんにも電話したら、とても喜んでくれてたよ。るりちゃん。

カメラマンになりたかった叔母。
50年もの時がたって、自分の撮った写真が何かの役に立つかも・・・と、喜んでくれてるかな。
そうだといいな。
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by faye2221 | 2015-08-16 14:39 | 日常 | Comments(0)